第5回公判で実施された被告人質問
のうち、主尋問に代わるものとして証
拠採用された陳述書を掲載します。
   陳 述 書


1.現行犯逮捕の状況について


 まず、私が逮捕された時の経緯をお話しします。おおまかな状況については乙3号証で供述し
たものと変わりませんが、補足したい点もありますので、改めて詳しく述べたいと思います。

 7月1日当日、私は目前に控えた河内音頭ライブの準備のために、西部講堂の敷地内におり
ました。このライブは私が主催者でありまして、今年で3年目の開催になるものです。当夜は西
部構内で会場設営の下準備をした後、構内に停めてある自転車のカゴに20枚程度のビラを投
げ入れ、やがて西部講堂を出て東大路を南下し、吉田寮へ向けて帰宅の途につきました。

 その途中、東一条交差点角の京大人文科学研究所の前に市バスの停留所があるため、バ
スで会場に来る方の便宜も考え、ビラにはよく見えるように赤いマジックペンで道案内のための
矢印を大きく記入して貼付しました。ちなみに、西部講堂から通りに出て以降に貼ったビラの枚
数は約10枚程度ですが、これは全て西部構内の外壁および人文研の柵に貼り付けたもので、
京都市屋外広告物条例には違反しておりません。また、貼ったビラはすべてイベント終了後に
全てきれいにはがす予定でしたし、そのためにガムテープで留めるなど、はがしやすいように工
夫をしておりました。

 私は、帰宅する前に、東一条のコンビニエンスストア「ショップ99」で買い物をする予定でした
ので、東一条交差点を西へ右折して、ついでに途中の電柱にもあまり深く考えずにビラを1枚貼
付しました。「ショップ99」の前まで来たところで、警察官(●●●●巡査部長)に後方より声を掛
けられ、職務質問を受けたわけです。

 まず私は、自分が京大の非常勤職員であることを述べ、運転免許証を手渡しました。その際、
住所が「京都市左京区吉田近衛町官有地 京都大学吉田寮」となっていることについて、「部屋
番号は何番か」と聞かれましたが、吉田寮では毎年4月に部屋替えを行うために、便宜上、公
用の住所には部屋番号を記載しないのが通例であると説明しました。それ以降、逮捕現場や
取調べにおいて、吉田寮や住所について詳しく聞かれたことは一切ありません。

 私は「すぐにビラははがす」旨を申し出ましたが、「一度貼ったものはダメだ」と言われたので、
それならばライブの責任者として現在多忙なので、7月4日の本番終了後に改めて出頭して捜
査に応じたい、とさらに申し出ましたが、警察官は「とにかく一緒に来てくれ」と言うばかりでした。
「ピンクビラならともかく、このような普通のビラを貼ることがなぜいけないことなのか」とも質問し
ましたが、「条例違反である」との答えが返ってくるばかりでしたので、私は重ねて、「それはいか
なる条例で、どのような規定に反しているのか、罰則は何か」等々の質問を行いましたが、この
ような質問には一切答えず、ただ「来れば分かる」という返答が返ってくるばかりでした。

 私は、自分が「悪いことをした」という意識は全くありませんでしたし、現場での警察官の説得
は強圧的で、かつ内容はしどろもどろでしたので、不審の念を抱き始めました。その後、応援の
要請に従い、総勢6人もの警官が駆けつけましたので、私はこのままではいたずらに時間を取
られるばかりでラチがあかないと考え、現場からすぐ西へ行ったところにある東一条交番でなら
取調べに応じる旨を申し出ました。しかしこの際は「川端署へ来い」との一点張りで、「東一条交
番ではダメだ」ということを警察官たちは強く主張しました。

 この間私は、「なぜ署へ行かねばならないのか」と繰り返し警官たちに問い質しましたが、こ
れはすべて「なぜ東一条交番ではなく、川端署まで行かねばならないのか」という意味でありまし
て、私が任意同行を拒んだ事実はありません。そのうちに「逮捕するぞ」と脅かしてきましたの
で、「こんなことで逮捕できるわけがないでしょう」と私が応ずると、「だったらしてやろう」ということ
で、その場で両側から二人の警官に羽交い絞めにされ、現行犯逮捕されました。なお、私は終
始一貫して、現場から逃走しようとしたことはありませんし、また逃走しようとするそぶりすら見せ
たこともありません。


2.取調べの状況について


 次に、私が取調べを受けた時の状況をお話しします。川端署引致後、すぐに取調べが始まり、
これには素直に応じて供述調書を作りましたが、●●●●警部補の作成による乙3号証がこ
れにあたります。私は連日、ライブのために睡眠2〜3時間で準備にあたっていましたので、疲
労困憊の極にあり、調書作成中に眠気で気を失ってしまうこともありましたが、3時間ほどかか
ってようやく作成し終わりました。そして、「素直に取り調べに応じたのだから、すぐに釈放してほ
しい」と強く要求しましたが、「逮捕されたんだから留置場へ入るんだよ」とか、「お前がいくら反
抗しても最後は権力のある方が勝つんだよ」といった暴言とともに、手錠・腰縄をつけられて無
理やり留置場へ入れられました。午前6時過ぎのことだと思います。

 私は、盆踊りのビラを1枚貼ったぐらいで、なぜこのような目に遭わなければならないのか、全
く理解できずにひたすら困惑していました。まるでカフカの小説の世界にいきなり紛れこんでし
まったかのような、不可解な事態の推移にただ呆然とするばかりで、留置場の中では「弁護士
を呼べ」とただそれだけを叫び続けていました。その後、午前10時過ぎだと思いますが、写真
撮影と指紋採取が行われました。私は当然これを拒否しましたが、「逮捕された人間は必ずや
らなければならないのだ」と刑事に説得され、この説明には疑問も感じましたが、依然として当
番弁護士の方が来る様子もなかったので、止むを得ず指紋採取等に応じました。

 続いて自動車に乗せられ、午前中に現場での実況見分が行われました。続いて、昼食後に
刑事による取調べが行われましたが、私は冒頭より「弁護士を呼ぶまでは取り調べには応じな
い」旨をはっきり述べました。当番弁護士を呼ぶよう要請した午前6時頃より、7時間以上が過ぎ
ても弁護士がやってこないことで、不信の念は極に達していました。そこで、事件の内容に関係
のない身上調書だけなら作成に応じる旨を告げ、40分ほどかかってこれを作成しました。乙2
号証がこれにあたります。その後、当番弁護士と接見し、当日夜の塾講師の授業や、翌日の京
大非常勤の仕事をやむなく欠勤する連絡を入れて頂き、ようやく初めて気分が落ち着きました。
取り調べ再開後に、乙4号証にあたる調書の作成に応ずることにしたのもこのためです。

 なお、この調書の「9」の部分については、私が述べた内容ではありません。取調べの最後に
「こういうことにしておけ、な」と刑事が述べたので、私はこれを「早く罪を認めて釈放されたらどう
か」という意味だと解釈しましたので、心身ともに疲れ切り、いつ終わるとも知れない長時間の取
調べから早く解放されたいと思い、自分の意にも真実にも反した供述ではありましたが、自ら署
名して指印したものであります。


                                        2004年12月13日
                                        被告人 井上昌哉
 河内音頭ビラ貼り裁判
被告人質問(第5回公判)・陳述書
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